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#楼主# 2018-1-27

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前言简介

先贴上结构图和剖面图资料:
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scs001.jpg


对应武器实物图:
1506251145838.jpg

武器介绍(日文版维基百科原文,翻译请自己机翻):

八九式重擲弾筒
(はちきゅうしきじゅうてきだんとう)は、
1920年代
から
30年代
初期にかけて開発・採用された
大日本帝国陸軍
小隊
用軽
迫撃砲
グレネードランチャー
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概要



開発は十年式擲弾筒が仮制式となって1年後の1922年(大正11年)から始まった。十年式擲弾筒は欠点が多く使いにくい兵器であることは陸軍としても充分に承知しており、特に射程の不足と命中率の低さを改善することが求められていた。同年4月には早くも試製品が完成し試験が行われた。しかし、1923年(大正12年)9月の関東大震災で焼失したため、いったん開発は頓挫したが、11月には密参第262号兵器研究方針により正式に開発審査が決定した。1925年(大正14年)末には陸軍技術本部での試験を終了し、1926年(大正15年)から1930年(昭和5年)にかけて陸軍歩兵学校に委託して実用試験を行った。時間がかかっているのは支柱(柄桿と呼んだ)部分の強度不足が指摘され、重量増加とのギリギリの線を探しこれの修正に手間取ったためである。制式名称が八九式となっているのは修正版試製品の完成が1929年(昭和4年)、つまり皇紀2589年であったためで、実際は1930年4月に仮制式制定となり、1932年(昭和7年)に制式制定となっている。生産は1932年から1945年(昭和20年)まで行われ、約12万挺が生産された。
八九式重擲弾筒は、発射筒と根元の細い支柱、その先の台座からなる。湾曲した台座を地面に当てて立て、目分量で角度を調整した後、支柱に沿った引き金を使って擲弾を発射する。この際、膝や足で地面にある台座を踏み、ずれないようにした。発射角度は45度で固定であり、射程の増減は調整ねじを使って腔内容積を変化させ、相対的に砲身長を増減し初速を調整することで行うという方式であった。この方式は一見複雑だが、同一の弾薬かつ固定発射角度でも射程を変化させることができるという利点がある。なお、墜発式でないため必要に応じて水平発射も可能であったが、反面二重装填による事故も多発した。
弾薬は専用の八九式榴弾で、十一年式曲射歩兵砲用の十一年式榴弾をほぼそのままスケールダウンしたものである。筒身のライフリングに噛合うよう、発射時の火薬ガスで内側から膨らむ銅帯を持ち、弾頭には瞬発信管を備える。また、十年式手榴弾および九一式手榴弾を発射することもできるが、最大射程は200mと八九式榴弾使用時の3分の1以下となる。この他、ヘキサクロルエタンと酸化亜鉛を発煙剤とした九三式発煙弾、八九式榴弾の弾殻を鋳鉄とし危害半径を小さくした演習弾である九四式代用弾が供給・使用された。
米軍兵士の間では、鹵獲した擲弾筒をニー・モーター(膝撃ち迫撃砲)と呼んだ[sup][1][/sup]。これは湾曲した台座が太腿にぴったり合ったことから、片膝を立てた姿勢で腿の上に乗せて発射する物と勘違いし、実際に行った者が反動で怪我をしたという逸話が残っている[sup][1][/sup]。この誤った姿勢で擲弾筒を構える米軍兵士の記念写真は実在し[sup][1][/sup]、また捕獲した擲弾筒を解説した1944年後期に書かれたマニュアルには、「本兵器は決して大腿部にあてがって使用してはならない」と明記されていた。
Soldiers_Zhejiang_Campaign_1942.jpg

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編制

1個小隊は4個分隊で編成され、分隊には軽機関銃1丁を装備する機関銃分隊、擲弾筒3門を装備する擲弾筒分隊、小銃分隊があった。 擲弾筒1門は3名の班で運用し、1人18発(計54発)の弾薬定数を持っていた。擲弾筒分隊はこの班が3個と分隊長の合計10名から編成されていた。 理想的な小隊編成は機関銃分隊3個と擲弾筒分隊1個からなる編成であったが、機関銃が不足していたため、機関銃分隊2個と擲弾筒分隊2個の小隊が編成されることも多かった。更に小銃分隊2個と擲弾筒分隊2個で編成したり、小銃分隊3個と擲弾筒分隊1個で編成されることもあった。
運用

同兵器は45度の角度で立てた場合に800gの
榴弾
を最大で670m、後に開発された有翼弾では800m飛ばす事ができる。この運用性の高さと威力の大きさ(有効半径10m)もあって、その上破裂音が野砲並みに大きいので米軍に大いに恐れられた。八九式重擲弾筒は歩兵小隊に1~3本が配備され、発射時には2人1組で各々が装填と調節・発射を担当、運搬では3人1組で各々が弾薬を8~18発(約6.4~14.4kg)ずつ専用の布製袋に入れ、担いで運搬した。効率が落ちるものの一人でも運搬・発射が可能であった。
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評価



沖縄戦におけるシュガーローフの戦いでは、擲弾筒が効果的に運用されたことが記録されている。特に米軍の突撃小隊を支援する機関銃分隊に対し正確に撃ち込まれ、頻繁に射撃後の移動を行わなかった機関銃分隊は生き残れなかったという。一方、斜面に着弾した擲弾に不発が多く見られたことも記録されている。また信管が打撃瞬発式のため、擲弾の弾道上に電線・枝葉等の障害物があると、飛翔中に信管が作動して炸裂してしまうおそれがあった。
小銃擲弾(ライフルグレネード)と迫撃砲の中間的なコンセプトが評価され、前述のように戦術的成果も高かったため、その威力を経験した米国を中心に各国で小銃擲弾以外の擲弾筒が開発される動機となったとされる。本擲弾筒を意識して開発製造されたのが確実なものとしては、中華民国国民革命軍が装備していた民国二七年式擲弾筒がある。民国二七年式擲弾筒は中国人民解放軍でも二七式擲弾筒の名称で1960年代初期まで使われており、朝鮮戦争でも使用された。
携行可能な擲弾筒のコンセプトは日本以外でも研究され、イギリスのSBML 2インチ迫撃砲などが存在する。アメリカ軍のM19 60mm 迫撃砲は、当初は八九式重擲弾筒と同様に砲身と台座のみから構成される形式を採用していたが、あまりの命中精度の低さから、前任のM2 60mm 迫撃砲と同様の支持脚を装着するにいたったという経緯がある。また、アメリカ海兵隊では、現代でも60mm迫撃砲から支持脚を外して小型のベースプレートを取り付けて擲弾筒のような形にしたものを小隊の迫撃砲班で運用している。 なお歩兵個人装備の軽迫撃砲としては口径の50mmは一般的であり、第二次世界大戦当時に各国で使用された軽迫撃砲はアメリカの60mmを除き50mmとなっている。
擲弾筒という名称であるが、八九式重擲弾筒は単に十年式擲弾筒を重くしたものではない。口径・筒身長は十年式と大差はなく、全長差も射距離調整ねじの追加で必要となった分のスペースである。増大した重量はほぼ全てが射撃精度向上のために振り向けられていると言って良く、手榴弾兼用の弾薬も使用できるという点以外は、各国の小隊用軽迫撃砲と運用面で異なるところはない。更に、実際には手榴弾を発射する場面はほとんどなく、もっぱら専用の榴弾を使用するものであり、八九式榴弾の威力は十年式手榴弾九九式手榴弾の約3倍、九一式手榴弾九七式手榴弾の約2倍であった。これはグレネードランチャーが一般に手榴弾と同等程度であるのに対してかなり大きいものであり、むしろ軽迫撃砲弾薬と同等かそれに近いものである。片や迫撃砲の軽量簡素化、片や擲弾筒の重厚精密化という出自の違いはあれども、小隊用軽迫撃砲と重擲弾筒のニッチは結果としてほぼ一致している。
むしろ、戦後各国で開発されたグレネードランチャーは、小銃擲弾と同様、その大半が八九式重擲弾筒よりも最小射程・最大射程ともに小さく、弾頭威力もより小であり、運用はより簡便なものであり、ライフルグレネードの延長にある装備である。
第二次世界大戦のアメリカ軍が使用したM7ライフルグレネードが有効射程150m程度で手榴弾と同程度の威力だったのと比較すると射程威力とも二倍は高性能であり、カタログスペックの比較ではソビエトの50mm迫撃砲などと同等の性能を持っていながら重量は半分以下という利便性の高さを誇っていた。当時の連合国軍に最も恐れられた日本軍の兵器の一つであり、小隊用軽迫撃砲として見れば他国と射程威力命中率では互角を誇りながら重量は半分以下という高性能だった。日本軍から鹵獲した八路軍においては、水平撃ちを多用してライフルグレネードのように用いた。




正文
手上获得的一枚实物(朋友所赠):
未处理的时候的照片
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先分离引信体和雷管部分:
可见针刺药部分已变质流失部分药,由于腐蚀严重击发药上的火帽/铜箔已经不可辨

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先拆引信体上部,雷管另外放一边进行注水对内部装药进行降感处理:


拆完进行酸洗抛光,可辨认上面的字:八八式、昭十三等字样(即昭和13年/1938年出厂),弹簧和击针和运输保险销这些铁质部分均锈蚀严重后按原样大概复制替换。
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降感完毕的雷管,开拆:


降感方法:置于密闭容器中的水中先经过真空处理排净内部的空气,再加高压气把水渗进雷管内部浸湿起爆药达到降感的目的,防止拆解的时候发生意外。

拧开击砧螺丝,发现有一层很薄的点火药(完全湿的糊状),抠掉置于后面的离心管内,然后发现一层被腐蚀的几乎没厚度的铜箔(上层点火药铜盂上的),挖开发现内部黑褐色糊状的湿的起爆药(怀疑已变质,刚开始的时候暂时不能确定起爆药种类):
C360_2018-01-24-16-47-13-383.jpg


取了微量起爆药置于瓷砖上灼烧一下,完全没有燃烧的现象(基本上完全分解变质了),拨开残留物发现在瓷砖上出现冷凝的汞粒,可以确认是雷汞起爆药:
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抠掉起爆药后,取出所有的火帽铜盂:

图里的,从左到右分别是:击砧螺丝、点火药火帽铜盂(腐蚀严重已经看不到盂底了)、起爆药火帽铜盂(内壁可辨有银白色的铜汞齐,火烤后银白色消失)、雷管本体(未拆扩爆药的,扩爆药上方还有一层铜箔)
C360_2018-01-24-17-29-59-847.jpg


取出的扩爆药,本身是在雷管内部熔铸成一块的,颜色是深茶褐色的:

药呈蜡状加热会融化,不溶于水,用丙酮溶解发现有黄色物质和茶褐色不溶物,丙酮挥发后出现少量黄色结晶,判断为变质的熔铸TNT。
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洗干净后的雷管:

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清理完毕重新装上:
一些细节。
C360_2018-01-24-22-06-38-456.jpg

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贴个拆解说明图,上面的说明是以我个人理解的原理写的:


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林飞 发表于 2019-1-16 13:04:03
手不能抖
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sajia23 发表于 2019-1-15 10:24:18
666666666666666666
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navy 发表于 2019-1-15 09:25:19
感觉相当危险了,随时可能被送快递
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tony123 发表于 2018-5-5 11:39:08
666,这这些东西你的朋友在哪搞到的,我也想要
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15356631019 发表于 2018-8-22 00:02:02
水表不会有危险吗?
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k53247l2 发表于 2019-1-21 14:24:02
涨姿势了,感谢分享!
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两边相观 该用户已被删除
两边相观 发表于 2019-1-22 10:01:26
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